こんばんわ、TKタローボーです。
アニメの感想記事を書くことを停止している一方で、人間の性格に関する独断と偏見を書かねばならないという使命感に襲われたので筆を執っています。
本記事は筆者の独断と偏見に基づいて、16種類の性格について、仕事・趣味・人間関係の観点で良し悪しを書いていきたいと思います。
性格によって人生は決定するのか、人生によって性格が決定しているのか。この因果関係、相関関係は明らかになっていません。
ただ一つ言えることは、世の中で一般的に言われている性格の良し悪しと、私の考える良し悪しに乖離があり、私はこの強烈な違和感を抱えて毎晩シャドーボクシングをしているという事です。
※本記事はエンタメ的な読み物として書いているので、あんまりマジになって読んでもらっちゃうとそれはそれでこっちも困るというかなんというか、うんまぁそんな感じ。察して。
さみしがり
上手に取り扱えば竜となるが、それが出来なければ鴨。
さみしがりな人をあえて言語化すると、「人と会い、話すことが好きで、人よりも孤独を恐れる人」と言える。メンヘラの根源とも言われており、世間一般の印象が悪いことで有名だ。
未完成な人間性を抱える社会では、この「人との関りを積極的に作ろうとする」性格である、さみしがりはトラブルメーカーとして扱われているイメージがある。
しかし、ハーバード大学が75年をかけた「人間の幸福と健康」についての研究結果では、人間の幸福や健康は、年収、学歴、職業と直接的に関係なく、関係するのは【良質な人間関係】だったとされている。
要するに、人間関係と向き合う時間が長くなる性格の方が、結果的に幸せになるのでは?というのが私の考えである。良い人に囲まれ、幸せな人生を送った人の人生、その根源は意外とさみしがりという性格だったのではないだろうか。
人間関係とは、人が思っているよりも薄く・細い物であるために、ちょっと間があくだけで気が付けば3年会ってない、5年連絡を取っていない。となりがちである。
そのため、打算なく・天然で「会いたいから一緒にご飯に行こう」と言えてしまうこの性格は「良質な人間関係」を維持することに向いていると思ったのだ。さみしがりを自覚することはおそらく悪い事ではない。多分。うん、きっと。
ご存じの通りこの性格の問題は”闇落ちする速度がコンコルド”ということだ。
さみしがりの性質を持つ人が、周囲に声をかけ、コミュニケーションを求めた挙句、徹底的に拒否され続けた場合、アナキン・スカイウォーカーよりも速いペースで闇落ちすることになる。
闇落ちしたさみしがりの末路は厳しい。ホストクラブやガールズバーのような金を払えば相手をしてもらえるサービスか、ネット上で友人を探しては相手にされなくなる時間を繰り返すことになる。
そうして、ダメージがつもり、人間に絶望し、やがて、炙りしめ鯖と化す。
さみしがりが人権を持つ日は、遠い。
いじっぱり
必要となるのは、結果と指導者。
これまた嫌われる性格の代表格、”いじっぱり”。周囲との軋轢を生むため嫌われるこの性格の被害にあったことがある人も多いだろう。
この性格の最大のメリットは馬力である。例えば、アーティストや作家、アスリートなどは、その意地っ張りな性格が功を成している可能性がある。
必要な物の一つに結果と書いたのはこれが理由だ。
アーティストやアスリートなど、ある程度結果が出た人物はこのいじっぱりが周囲に認められていく。認められたいじっぱりは個性となり、武器となり、馬力となり、誰も追いつけぬ領域まで駆け抜けていくガソリンとなりうる。
では、雑魚一般社会ではどうだろうか。「俺は誰よりも金を稼ぎたい」とか「俺はゲームで負けたくない」といった挙動を振り回した時に、想定される周囲のリアクションは「キモッ」である。
雑魚一般社会は上昇志向のある人間を咎める文化がある。他の人が成長すると自分の”全人類ランキングが下がる”感覚があるのだろう。周りが成長しようがしまいが、雑魚が雑魚である事は変わらないというのに。
ちょっとうざいくらいの上昇志向を振りまいた時、部活の先輩や会社の上司が「ほう、こいつおもろいやんけ」と言ってくれる人物が稀に表れる。ここがいじっぱりという性格が良い方に転ぶか、悪い方に転ぶかの分水嶺である。
「ほう、こいつおもろいやんけ」と言ったこいつこそが指導者であり、それが部活の監督なのか仕事の先輩・上司なのかはわからないが、いじっぱりで馬力のある人を最大限有効活用してくれることだろう。
寛大で人を導くことに長けた指導者が存在する時、内在するエネルギーが人より大きいこの性格は人よりも大きな結果を出す可能性が高い。
最大の難点は、この”指導者”の母数が絶対的に少ないことだ。勢いがあり、尖った若者を目にしたとき大半の雑魚は嫌悪感を示す。「若ぇなこいつ」「世間知らずがイキんじゃねぇよ」「現実知らないだけ」と反応するのがほとんどだ。
この指導者は”元いじっぱりで誰かに引き上げてもらった存在”である可能性が高い。こいつらはトキワの森のような場所には存在しておらず、チャンピオンロードの終盤に生息している。
つまり、いじっぱりとして生まれたならば、それなりに上澄みのエリアで生活した方が都合がよい。
スポーツであれば、強豪校・名門校、仕事であれば有名企業で出世頭か中小企業の経営陣なんかに近いエリアで生活をすると、うまくいく可能性が高い。
少なくとも、雑魚一般社会でいじっぱりスタンスでうろついていると袋叩きに合う可能性が高い。
これらの上澄みのエリアで目をつけてもらうためには、やっぱりある程度の結果が出ている必要がある。
結果が一度も出なかった”いじっぱり”は悲惨な末路を迎えそうだ。普通の人からは迷惑がられ、雑魚からは嫌悪され、誰にも味方されず、周囲と自分を傷つけ、燃え尽き、焼けすぎて誰も食わなくなったホルモンみたいになる。
貴公らの武運を祈るばかりだ。
やんちゃ
周囲の見えぬならず者、実態は成長前のイモムシ。
やんちゃと言えば直結するのがヤンキーである。本記事では、イメージそのままで記載する事とする。
やんちゃと言うのは厳密には性格では無く、フェーズの一種と考えている。
人は誰もが、最初は自分のやりたいこと、言いたいことを振りかざし、だだをこねるものだ。未就学児を見ていればそれが分かるだろう。やがて、年齢を重ねるにつれて親、友人、恋人(人によるが)が出来て、精神的に成長していく。
「最初は自分だけ楽しければ良い」だったのが、「自分と友達が楽しければ良い」になり、「自分と家族が幸せなら良い」となって、最後は「自分だけでなく周囲の人が幸せであって欲しい」と言った具合に自分の円が大きくなっていく。
やんちゃと言うのはこのフェーズの序盤のいる人間に他ならない。
やんちゃな人はとにかくこの円が小さいのだ。円の内側に力を注ぐあまり、円の外側の扱いが雑になっている。なんなら危害を加えるレベルに。
夏に7号線を爆走する暴走族も、「自分と仲間が楽しければ良い」と視野が3mmになっているイモムシなのだ。周辺住民はたまったものじゃないが、彼らは彼らで幸せなのである。
自分や身近な人は幸せに過ごすことが出来るが、円に出た途端敵だらけになる。敵が多い世界では成りあがることも、大きな結果を出すことも難しいだろう。「幸福だが、まっとうな人が離れていく故に大成しない」と言うのがこの性格の最大のデメリット。
小さい円の中で、デカイ声で「幸せだ!!」と叫び、周りからは白い目で見られる。これが彼らの特徴だ。これが本人にとって幸せなのかどうか、あえて言及しないこととする。
ゆうかん
一見聖人だが、実態は死のデッキ破壊ウィルス。
ゆうかんと聞けば素晴らしい性格と感じるだろう。私もそう感じる。
先にゆうかんの定義を決めておこう。
ゆうかんな人は、人が嫌がる事、怖い事を率先してやり遂げる勇者のような存在だ。例えるなら怒りちらかしているお客様の矢面に立って部下を庇ったり、面倒な作業を引き受けたりするだろう。
周囲の人は”ゆうかん”な人に感謝し、”ゆうかん”な人を信頼し、”ゆうかん”な人を愛するだろう。それが猛毒であるとは知らずに。
部下は、無能な上司の下で成長する。こんな言葉を聞いたことがあるだろうか?この格言は私の実体験でもバチクソ正しいという感覚があり、私は新卒で入社した会社で出会った無能な上司の下にいた時期に育った自覚がある。
会社員2,3年目の私は死ぬほど無能な上司の下で働いており、その上司が口を開けば、的外れでわかりにくい言葉ばかりを並べ、客は怒り、呆れたものだった。
それを見かねた私は、客に対するすべてのコミュニケーションを一身で担当することとなり、その時間が今の財産になっている。これが”ゆうかん”な上司だった場合こうはならなかっただろう。
ゆうかんということは、常人には辛く・面倒な局面を多くこなしてきたと言う事であり、=成長する機会が多かった=優秀な人物。である事がほとんどだ。故に、こんな優秀で”ゆうかん“な人物がいる環境では、周囲の人が腐っていく。
“ゆうかん”なエースがいるだけで、周囲の人は自然とサポートに回ってしまい、成長が鈍化し、四肢が壊死したのちに、崩壊していく。
崩れかかった状況を、ゆうかんな人がフォローをして、周囲の人物はゆうかんなその人をさらに神格化し、雑魚化していく。結果的に、デッキから攻撃力1500以上のモンスターは全て墓地に送られることになる。
趣味・仕事・人間関係、全てにおいて優秀であっても”ゆうかん”であってはならないのだ。中長期で見たときに、”ゆうかん”であることが組織のガンとなる可能性は極めて高い。
ずぶとい
敵にも味方にも雑に扱われるが、そのことに気づけぬモンスター。
“ずぶとい”とは最強のパラメータである。攻撃を攻撃と認識しないのだ。図太いと言うと感の悪いおデブちゃんを想像するだろうが、実態はニュアンスが異なる。
防御力やHPが高いのではなく、被ダメージ軽減・極がついているイメージだ。
結果的に、タフな人と同じように見えるが、タフな人とは別物である。これらの違いを下に整理しておく。
タフな人・・・防御力が極めて高くて、HPがめちゃくちゃ高い
ずぶとい・・・攻撃自体を攻撃として認識しない(被ダメージ軽減・極)
“ずぶとい”とは、他人の悪意・敵意に鈍感であると同時に、味方の善意・好意に鈍感なのである。これが続くと何が起きるかと言うと、人からめちゃくちゃ雑に扱われるようになる。
一見かわいそうに聞こえる表現だが、”ずぶとい”人は、人から雑に扱われている事にも気づけないため、幸福感を損なうことも無い。故に最強のパラメータなのである。
“ゆうかん“のエピソードで話した、私の無能な上司はなぜ出世していたのか?というと、”ずぶとい”人だったからに他ならない。エンジニアというのは、炎上プロジェクトのような所に追加で人員を補充するシーンがあるが、そのほとんどが”負け戦”なのである。
ブチ切れている客の前に”ずぶとい”マネージャを差し出し、サンドバックになってもらうが、客は手応えが無いため怒りを通り越し呆れ、トーンダウンする。この間、この”ずぶとい”マネージャはノーダメージなのである。やはり最強。
“ずぶとい”人が目の前にいた時の注意点は、そのひとが”ずぶとい人のふりをしている人”かどうかを見極めるようにする。ここは忘れてはいけない。ここを見誤ると致命傷になる。
自称”ずぶとい”は全部偽物だ。「私ひとよりずぶといからさぁ」と、ずぶとい人が言う訳が無い。認知できない事がずぶとさの根源だ。ずぶとい人がずぶとさを自覚できる訳が無い。
ずぶとい人は「え?何きいてなかった」「〇〇ってことだよね?(的外れ)」「わかった(わかってない)」といった言葉が口癖だろう。
わんぱく
これに関しては”やんちゃ”との違いが分からないため割愛する。
のんき
弱者から好かれるマスコットキャラ。
本記事では、”のんき“とはのんびりとした性格で、物事に対する関心が浅い人と定義する。
ずぶといと似ているが、決定的に異なるのはスピード感の差である。ずぶとい人は、感覚器官がバグっているだけで、頭は働いているので期限やスピード感は守る。意外とメールやチャットツールのレスが早いのだ。
それに対して、”のんき”な人はこの期限を普通に破ってくるのである。また、期限が存在しないものに関しては、着手するより先にサグラダ・ファミリアが完成する。
“のんき”な人の最大のデメリットは、PDCAのサイクルが圧倒的に少ない故に、成長が遅いことだ。
人が成長する方法は、行動と修正に他ならないが、のんびりた性格は、その性格故にこの最強の成長方法をループする回数が少なくなる。これは成長を鈍化させる原因だ。
例えるなら、スライムを1体倒せば経験値が10貰えるとして、スライム1体倒すのに1分かかる人と、1時間かかる人との間で、1日に得られる経験値の差が膨大になる感じだ。
“のんき“の真逆が、後でも出てくる”せっかち“になるわけだが、“せっかち“な人は”のんき”な人が嫌いな傾向にある。「はやく〇〇しろ」「ささっとやれ」「なんでまだ終わってないんだ」こんな感じである。
少し脱線して、せっかちの話になるが、のんきと関連してくるためここで記載する。
先ほどPDCAのループ数の話で合った通り、”せっかち”な人は、物事の処理回数が多くなるため、成長し、結果が出る人が多い。だから、強者の中には”せっかち”なひとが多いのだ。
資本主義社会においては、強者に嫌われるというのはそれだけで極めてきつい状況になる。金と権力を持つ人間にせっかちが多いとして、金と権力と能力がある人をあいてに、”のんき“なひとが出来ることはない。
のんきな人は、資本主義・出世バトルフィールドで戦ってはいけない。人には向き不向きがあるのだ。
その一方で、のんきな人は同族や資本主義・出世バトルフィールドから退場した人からは圧倒的な支持を得る。
例えば、この”のんき“な人が上司だとしたときに、無能な部下は「この上司の下にいるの楽だわラッキー★」と思い、有能な部下であれば「この上司早く変えてほしい」となるはずだ。
この時の無能な部下の、”のんきな上司”に対するテンションの上がり方は異常であり、オフ会で巨乳の美人が現れたときよりテンションが上がっているはずだ。
何も仕事やスポーツ、金稼ぎが全ての世の中ではない。”のんき”な人は癒されるマスコットキャラクターとして、プライベートで家族や友人と仲良く過ごし、充実した生活を送れるのであれば、それがベストなのだ。
無理に勝ち負けの世界で生きようとしてはいけない。
のうてんき
幸せは、君の掌の上に。
⑤の”ずぶとい“とも、⑥の”のんき“とも異なる”のうてんき“な人。彼らを一言で表すならば「不安を感じず、感じることが出来ない人」と言える。
この性格の致命的で決定的なデメリットは「思考が浅くなる事」だ。読者にも未来への不安や、人間関係の不和について考えると、眠れなくなることが有っただろう。
あれは「ネガティブなことを考えるとき、思考が深く広くなる」特性に他ならず、人は悪い事を考える時、どんどん考えすぎてしまうのだ。
これはストレスを感じる事である一方で、思考力・分析力が向上するというメリットが存在する。”ネガティブと向き合う時、思考が深くなる”のは、人類が生存して繁栄していくため作られた、原始時代からある脳の構造なのだろう。
証券マンも言っている「ネガティブと向き合った数=分析力」という公式を知ってもらったうえで、のうてんきについて考えてみる。
ネガティブに鈍感であるのうてんきな人は、類人猿だった頃であれば、生か死かの境目をうろつくことになるが、安全がある程度保証される現代社会においては、良い側面が大きい。何より日常がハッピーなのである。
デメリットとしては、シンプルに分析力不足によりビジネスシーンでは力不足になるシーンが多い事。若干切ないデメリットとしては「人から相談されない」ことだろう。飲み会や仕事の話でちょっと真面目な話になった時に全く参加できなくなる。
仮に”のうてんき”な人が心の底から「ご飯食べて寝れば大丈夫だよ!」とアドバイスしても、「はいはい、のうてんきなお前の世界観は知らんから」と相手にされないのではないだろうか。これは切ない。
周囲の人と温度差を抱えながら、それを気にせずハッピーハッピーパラダイスするその姿は、幸福な新人類そのものである。
ひかえめ
弱点を補う解決策から一番遠い所に存在する、歩くパラドックス。
“ひかえめ“な人と聞けば、優しいが成功からは遠い場所にいる存在。と思う人が多いだろうが決してそんなことはない。
“ひかえめ”な人は自己アピールが下手なだけであり、無能とは異なるのだ。そのため「こいつはひかえめだけど、実は優秀」と気づいている人が周囲に存在すれば、その人の近くにおいては素晴らしい活躍を見せているはずだ。
この”気づいている人”が近くにいるかどうか、というのがかなり重要で、配属先であったり、友人・恋人に”気づいている人”が居てくれればいいが、そうでない場合は悲惨である。
無能のレッテルを張られ、苦しい扱いを受けた上に、本人も「なんて自分はだめなんだ」とマイナス思考になっていく。
解決策はフィールドを変えて、部活や勉強をやめたり、職場・趣味を変えるなんてのが良いだろう。
が、しかし、But,However、この”ひかえめ”な性格の人は、その行動力の無さ、自己アピールの下手さから戦うフィールドを変更することが出来ない。
自信がないから行動できず、行動できたとしても自己アピールが下手なので、面接や合コンや初デートで敗北を重ねる。結果、自信を失い行動力が低下する。脱出確率0%、絶望のひかえめスパイラルだ。
服屋に行く服が無い。みたいな話である。
この性格の最大の問題は自分の人生を自分でコントロールできないことにある。
周囲の人にどんな人がいるかによって、活躍の幅が大きく異なる故に、ただでさえ運ゲーの人生をさらに運ゲーに加速させることとなっている。運任せの人生は、人生のコントロールを他人に任せているのと同義である。
幸い、”ひかえめ”な人は周囲の人に感謝する謙虚な人物が多く、本当に優しい心の持ち主が多い。
“ひかえめ”な人を目の前にしたとき、あなたが守るしかない。
くそっ、何という・・・なんと脆い生き物なのだ・・・!!
れいせい
有能of有能。ただし、スケールはしない(確約済み)
“れいせい“とは物事を論理的に見ることが出来て、合理的な回答を出すことが出来る人の事を指す。勘違いされがちなのは感情論を嫌うわけではなく、感情も含めて合理的な回答を出すことが出来る人を指す。
ロジカルロジック論理おばけとは別の存在なのは理解しておいてほしい。
感情を含めて合理的、これを”れいせい“と呼ばずして何と呼ぶのか。私の友人はこのタイプの人がめっちゃ多い。
具体的な例を挙げると「仕事に時間を取られるのは嫌だが、職場で目を付けられるとやり辛くなるので、やるべきことをこなして定時で帰る」こんなイメージだ。「仕事に時間を使いたくない」という感情がある上で、「やるべきことはこなす」という合理的な回答を打ち出している。
実際は、仕事の都合や職場の事情でここまで綺麗にいかないかもしれないが、ベースがこの考えになるのが”れいせい“な人だろう。
趣味や人間関係においてもスタンスは変わらず、感情をベースに合理的な取捨選択をこなし、結果順風満帆な人生を歩むこととなる。
当然この性格にも弱点がある、それが大成しないと言う事だ。個人の努力や有能さで出せる成果はたかが知れており、その殻をやぶるためには”れいせい”じゃない、非合理な一面を打ち出す必要がある。
例えば、「僕は起業して金持ちになります」とか「サッカー選手になります」と言った具合にぶっとんだ発言と姿勢を見せなければ、目上の人に見つけてもらえないのだ。
つまり、個人で出せる成果に限界がある以上、自分より上の世界で生活する人に引き上げてもらう必要があるが、”れいせい“な人はその釣り針にひっかかりにくい。結果、偏差値62を超えることが出来ない。
これが優秀で”れいせい“な人が大成しない最大の理由である。
彼らは利口な頭と、広く長い視野で見えている未来にしかたどり着けないのである。
多くの雑魚は、この優秀で”れいせい”な人を目指すが、その世界にはキャップがハマっていることを知らない可能性が高い。
私個人の感覚値だが、普通の人が0点から100点まで取れる可能性があるとすれば、れいせいなひとは55点~85点を取るイメージだ。55点を下回る事は絶対にないが、85点を超えることはもっとない。外資ITで働く人を見ていて思うのは、誰もが何か狂っているのである。
頭は冷静、さらに心も冷静になると大成しない。
が、そもそも十分な地位と生活を手にした彼らは大成しようとすら考えていないのだろう。
どこまでも冷静な奴らである。
まとめ
16種類書くと言ったが、あれは嘘だ。